川蒸気船と舟運
(ポンポン蒸気船)
隅田川を発着点とする川蒸気船は、明治の初めに、深川万年橋から江戸川を経由して、関宿から利根川へと入る航路が 開かれ、その後、川蒸気船「通運丸」の新造に伴って一層の発展を遂げた。
川蒸気船は、明治18年3月の創業となっているが、これ以前に申請した人が記録に残っている。 ◎明治13年4月 本所区林町 波多野省三、 永代橋より両国向島を経て王子まで、 料金は永代〜両国1銭、千住へ4 銭、王子までは7銭。 ◎明治14年3月 日本橋蠣殻町 増田由松、 浅草蔵前河岸より、 川越の新河岸まで、 東京川越間46銭で所要時間 は13時間、川越より東京の下り便は34銭で7時間。 この2件の申請は両者とも認可が降りず、不認可となったのは、東京〜川越間を足の 速い蒸気船で走られたのでは、既存の舟運業者がひとたまりもなかったからかも。 |
その後、明治18年古河孝七が設立した『隅田川汽船株式会社』が吾妻橋と永代橋間の運航を開始する。また、同年の10月23日の読売新聞には、『大川(隅田川)を往復する蒸気船は追々乗客があるに付き、銀座3丁目の中北米吉と小梅業平町の古河孝七が持ち主にて、小汽船12艘を以って屋形を作り、和船24艘を引船に着け、航路は京橋区八丁堀中の橋より千住橋までとし、この間を5区に分け1区1銭づつにて午前7時より午後7時まで営業するといふ』。この記事によって、航路が延長されたこと、1区1銭であること、機関船と客船とが別々で引船であったことががわかる。
明治30年(1897)には、東京巡航汽船が設立されて、新橋を起点に各支川へのルートが開かれ、例えば、永代橋〜富岡橋門前、両国橋〜二之橋、九段の俎橋より神田川などで1区1銭だった。また、同年には、隅田川汽船株式会社の隅田川丸に対抗して、大川汽船が設立され、明治33年には、隅田川汽船に買収され、また、この年の3月8日には、千住吾妻汽船会社が出来て、千住〜吾妻橋間を運行し、蒸気船の競争時代がはじまる。
こお水上交通の激戦強敵が現れ、明治15年(1882)新橋〜日本橋かに、軌道上を走る2頭立ての鉄道馬車が走り、明治36年(1903)8月22日には、新橋〜品川間に電車が開通して、6里半を3銭均一で開業し、大川筋の曳船と鉄道馬車は大きな打撃を受ける。
さらに明治39年(1906)9月11日には、東京市街鉄道、東京電車鉄道、東京電気鉄道の3社が合併して東京鉄道株式会社になり、4銭で営業を開始したため、隅田川汽船は大幅に乗客を失い、対抗策として区間別の運賃を改定して2銭均一にしたため乗客の取り戻しに成功。大川の1銭蒸気と親しまれてきた愛称もこの年を持って2銭蒸気になり『1銭蒸気』の愛称だけは人々の心の中に刻み込まれてきた。
、隅田川汽船の利用人員は、明治42年283万人、昭和18年180万人、昭和19年になると戦時下で自然休止となり、戦後になって昭和25年に、吾妻橋〜両国間が再開され、昭和28年には浜離宮まで延長され、今日では、500人乗りの『東京都汽船株式会社』の水上バスなどが多数運行され、屋形船の利用者も増え、利用者は年々増え続けている。
首都圏を流れる荒川下流は、都市の河川として様々な役割ついて注目されている。その中でも全国的に関心が持たれているのが舟運。特に、荒川の舟運についての関心の背景には、阪神・淡路大震災がある。もし首都東京にあのような大災害が発生した時にどのように対処するのか。その緊急時の大動脈として、河川施設の整備が進められている。
河川敷では、球技大会やフルマラソンの競技場として賑わい、川にはタンカーを含めた貨物船、レジャー船、水上バスが行き交う。戸田漕艇場付近では手漕ぎボートで遊ぶ風景が見える。休日には水上バイクが走り、カッターボートが練習し、川縁や堤防の緑を探索して河川の自然観察など教育の場としても利用され、様々な利用者の中で40万人がいろんな形で水面を利用し、荒川下流の年間利用者数は800万人にのぼっている。この数は、ディズニーランドの年間入場者の数に匹敵する。
現在、荒川の河口部から35q上流の埼玉県浦和市、志木市まで船が就航しているが、そこから秋ヶ瀬取水堰があって、現在では上流へは、船の航行が出来ない。この堰を船が通ると、圏央道等の幹線道路と舟運を結び、首都圏の効率的な交通網として荒川舟運を効果的に活用できる。
荒川下流を航行する船舶は1日約100隻です。その七割が事業用、業務用の船だ。そのうち30隻が川崎港等から埼玉県までガソリンを運ぶタンカー。このタンカーは200dクラスの規模、陸上輸送のタンクローリーに換算すると1隻で30台分、毎日1000台分のタンクローリーが荒川を走っている計算、人件費に換算するとタンクローリーの運転手は一人1台で30人が必要で、タンカーは、1隻に3人の乗務員なので人件費は十分の一ですむ。それを運送する燃料・ガソリン代は陸送の六分の一で済み、こうした効率もあって埼玉県南部のガソリン代は東京より安く、各スタンドの料金を平均すると東京より埼玉南部の方が約5%安いという結果が出ている。
ガソリンの消費量が減ることで、CO2等の排出量も少なく環境問題の解決にもなり、運送時間も、陸路は東京23区内の平均速度は、約12q。荒川を航行する船の平均速度は毎時約19kmで、陸送の1.5倍の速度で航行している舟運の新しい顔『災害に強い水の道』として必要性が高まている。